先週父が逝去しました。長い闘病生活でしたが、大正生まれの大往生です。通夜のとき、印象に残った話題があったので、紹介させてください。 叔母が入院していたときの話。入院先の病院で医療事故があり、人が亡くなったそうです。 明らかな医療事故だったため、遺族はたいへん憤慨し、担当医師をやっつけることばかり考えていたそうです。もっともなことです。 しかし、医療事故で死亡した故人の長男は違ったそうです。「担当してくださった先生を必要以上に責めるな」と。 「えっ」て思いますよね。 でもその言い分は大概次のようなものです。「担当医だって殺そうと思っていたわけじゃない。むしろ、患者を死に至らしめたことをバネにして、これから100人も200人もの人命を救う人になるかもしれない」と。 う〜ん。 そういえば、「オニババ化する女たち」(三砂ちづる著、光文社新書)でも次のような体験談が紹介されていたのを思い出しました。 大学に入ったばかりの女子学生が妊娠した。日本ならば、やれ堕ろせだの、勉強はどうすんだなどと責め立てる。困っている人を放っておく。 しかしブラジルでは違う。 勉学に励むことができるよう親戚中が手を差し伸べる。安心して出産できるように親戚中が手を差し伸べる。産まれてきた大切なメンバーをとても大切にする。 医療事故を起こした担当医にせよ、大学に入りたての女学生にせよ、「困っている」んですね。その「困っている人」を取り囲む人がそれぞれどう行動すべきかは問題ではないと思うんです。 「困っている」という事実を正当に評価できるかどうか、これが問題だと思うのです。 父が亡くなり、久しぶりに親戚と歓談し、様々な価値観を学ぶことができ、本当によい通夜でした。自分の世界がまだまだ狭かったです。合掌

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