福岡県筑前町の町立三輪中学校2年の男子生徒(13)が自宅で自殺した問題について。コメント・トラックバックフリーです!清き一票、よろしくお願いします人気blogランキングへ

 まず、ご不幸にあわれたご本人様、ご家族様に深く深く哀悼の意を申し上げます。

 原因は何にせよ、子供が親に先立って逝く、こんなにむごいことはありません。
 私の教え子(当時小5)が交通事故で亡くなったことがあります。相手はダンプ、即死。お通夜も葬儀も参列しましたが、お母さん、もうダメです。歩けません。お声をかけることもできませんでした。目のクリッとした、伸び盛りで恥ずかしがりやの生徒でした。
 また、私の兄は自殺しましたので、ご家族がどのような衝撃を受けたかについては痛いほどわかります。今でも死んだ気がしません。

 瀬戸内寂聴先生いわく、子供が親に先立って逝く、これを逆縁というそうです。厳密には私は逆縁というものを受けたことがありません。そこで、瀬戸内先生の法話集のビデをを購入して母に送りました。
 帰省した際、実家の壁に瀬戸内先生のポスターが貼ってあったので、見てくれたんだ、とホッとしたことを記憶しています。

 余談ですが、瀬戸内寂聴先生のほか、村瀬明道先生など、尼僧には大変心打つ方が多いようです。
「あんた、悲しいんだね」
「あんた、悔しいんだね」
「あんた、切ないんだね」
なんて、一言で相手の気持ちを集約してしまう。はたで聞いていても胸がすっきりします。
村瀬先生の法話はまだ直にお聞きしたことがないので、早く聞きたいと計画しています。ちなみに私は無宗教です。

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 さて、繰り返される子供の自殺。
 その経緯が明らかにされるにつれ、関心が高まっています。問題とされた学校現場が、子供を守る“愛”ではなく、体裁や立場を守る“エゴ”に非難が集中しています。
 でも、子供の自殺が繰り返されるんです。

 問題の起こる原因はその「人」ではなく、「人」と「人」の間にある。私はこう思います。先生や級友や自殺した本人が、それぞれ問題を抱えているのはもちろんです。
 しかし、人はそれぞれ立場がありますから、それをムシしていろいろ言うのは当事者にとても失礼で残酷だと思います。個々の事件の解決は当事者でしかできないのではないでしょうか。
 このような意味で、具体的な「人」の問題ではなく、抽象的・一般的な「人間関係」の問題だと思うのです。

 先生という仕事は、やるべきことの線引きが難しい。やろうと思えばいくらでもできるし、手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。
 だから、先生は自分なりの「軸」「教育観」をもっていないと、とても勤まらない。

 問題となった先生は「生徒を評価する側」だったと思います。生徒と先生の距離がとても遠い。でも、学年主任の先生だから、とても熱心だったはず。でも、熱心であればあるほど生徒を細かく支配しがちになるから、子供が操り人形状態になる。その結果、その雰囲気に合わない生徒があぶりだされる。
 こうした「人間関係」が固定したときがアブナイ!

 私個人は、先生と生徒は「飛び馬」の関係にあるのがよいと思っています。
 お辞儀するようかがんでいる人を次々に飛び越え、最後には自分がかがんで人が飛ぶのを支える。この永遠の輪の中に先生がいる。
 飛んでいるときは、様々な高さの人がいる、背中の広さも違う。目の前の飛び馬をどう飛び越えるかを瞬時に判断しなければならない。先生は生徒に気付かれないように生徒を支えて、自分を超えさせる。

 本当に頭の良い子は偉ぶらず、とても周囲に気を使う。実はこのような姿勢は大人が教えるしかない。
 支えられている実感があるから、他人を支えることができる。
 他人もカゲで努力していることを知っているから、人をナメない、人を利用しようとしない。
 生徒の輪に入ってこそ、こうしたことをコンコンと説くことができる。一方的な評価者としての立場からはとてもムリ。

 最近の子供はコミュニケーション能力が足りないと言われますが、これは構造的な問題だと思います。うまくいっている学校の例をもっともっと研究していきたいと思います。

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 ちょっとエラそうなことばかりだったので、一つ失敗談。

 以前、息を切らせて「間に合ったぁ〜」って授業に飛び込んできた生徒がいました。
 「すげぇもん見ちゃったよ。人が車にはねられたんだ」
 私は聞きました。
 「はねられた人は大丈夫だったの?」
 「わかんない」

 このとき、なんとなく授業を続行してしまいました。私がこだわっているミスの一つです。

 状況は詳しく分かりませんが、きっと通りすがりの人がうまく取り計らってくれたのかも知れません。
 しかし、私の経験では、人が車にはねられて、ましてや出血してたりすると、周りに群集ができるだけで、加害者の車を適切な場所に誘導したり、救急センターや警察に連絡したり、事故現場で段取りよく進まないこともあります。

 こんな状況を子供にも見せた方が良かったんじゃないだろうか。
 生徒は、「塾の間に合う」ことと「人命を助ける」を天秤にかけて、前者を優先させたのではないか。

 やはりその生徒には、まず傷を負った人を助けることを優先させるべきだと、その場で指導すべきだったと、反省しています。
 授業でもそうなんですが、その時、その瞬間に言わないと子供に通じないことだらけです。
 だから、授業というのは延長が許されるべきではないんです。言いたいことをいつでも意識していないと、教育効果が上がらない。今でも自分に、そうのように言い聞かせています。


 さて、次回は「中学受験歳時記」を掲載します。隣の庭は・・・、ちょっと気になりますね。

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