こんにちは。昨日の深夜番組ですごいもの見ちゃいました。ドキュメント2006という番組の中のことです。マスコミがある公立中学校の校長先生に「いじめについて取材したいのですが」って言ったら、校長先生が「うちの恥になるから断る」ですって。これじゃいかんと思い、今日は「いじめ再考」です。



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 先ほどの校長先生の話ですが、「いじめが露見すると恥になる」という考え方を聞いて、ある教育行政の専門家の方がこう言っておられたのを思い出しました。

 「いじめはあるものをないと隠そうとするから事態をゆがめる。だから、いじめがあることを前提に、いじめに善処した事例を多く報告させ、それを評価していくシステムが必要だ。」

 なるほど、です。評論家の方が仰せの「いじめを隠そうとする」は、前出の校長先生の「いじめが露見すると恥になる」に通じる。



 しかし、です。だからといって「いじめがあることを前提に」というのはちょっと乱暴だと思うんです。「いじめがあることを前提に」というのは、「だれも発見できなかった」ことと同じことです。教育現場のだれもが発見できなければ、それこそ「恥」です。

  だから、本能的に隠そうとする。そうした本能的な「恥」がある以上は、いくら「イジメを報告せよ」「報告すればそれを評価する」といっても、解決はしないと思います。さらに、イジメを解決するのは教師として本来的な仕事なのに、それを評価しなければならないのも「恥」だと思うんです。


 イジメ死の当事者の先生方が揃って頭を下げる光景はもう定番になりました。頭を下げる前までは、可笑しくもないのにヘラヘラ笑みを浮かべていたのに、です。可笑しくもないのにヘラヘラ笑うのは、自分のアラがでないようにするための「構え」です。恥を隠そうとする意図が丸見えです。

こうした「バレたら恥」という幼稚さは「本能的」で「構造的」ですから、これを「直せ」といっても無理なものはムリです。直すことのできる処方を発見したらノーベル賞ものです。



 しかしイジメ死はあまりに惨い。番組の中でイジメを受けた人が言っていました。「お母さんに学校行きたくないって言ったの」「でも、なぜってすぐ聞かれる」「理由を言うのはイヤだからしぶしぶ学校へ行ったの」。こどもが感じる自分のイヤな部分、だれにも見られたくない、どうしても消したい。だから、死にたい。「自分のイヤなところ」に追い詰められていく。死ぬ前に誰かに話したい・・・。



 イジメ死の最大の問題点は「自分のイヤな部分」だけが友達との接点だということです。気が弱いところを突かれて命令ばかりされる。顔を見れば不潔だと言われ続ける。こうした「気が弱い」とか「不潔」だとか、自分がイヤな部分だけが友達との接点になっている。

大人は自分のイヤなところと上手に付き合っていけるから、こどもの感じる「自分のイヤ」の重大さが分かりにくい。でも、自分のイヤな部分だけが他人との絆だとしたら、これは想像を絶する苦痛です。



 こうしたこどもの立場にたって考えると、いじめは無くせないものの、「イジメ死」を無くすことはできると思います。イジメ死の原因は、自分のイヤなところだけが友達との接点であること。だから、自分のイヤなところを無くすか、あるいは友達との接点を断ち切ることです。よい相談相手に出会えて、幸い自分のイヤなところと上手に向き合うことができれば、笑顔も戻ることでしょう。本当にそうあって欲しいです。


 しかし、良い相談相手に出会うチャンスがあったとしても、追い詰められたこどもにとって相談を申し出ることは難しいと思います。こういうときは、親が「学校へ行きなさい」とか、学校が「グループ指導を増やそう」なんてごり押しするのではなく、すぐさま「転校」しかないように思います。絶対に回避しなければならないのは「死」です。


 
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