こんにちは。昨日はテレビ東京の「速ホゥ」(4:55〜)という番組の取材でコメントをさせていただきました。「週5日制から週6日制に移行した場合、塾の授業時間や収益に影響はあるか」というものです。テレビでは放映されていませんでしたが、「ゆとり教育のあり方は正しかったか」という問いもありました。 


  ところが、「ゆとり教育」という問題は大きすぎて何が何だか分かりません。提言の内容も教師の尻を叩くものが多く、目を覆いたくなります。イジメ問題について以前、「イジメ一般」と「イジメ死」について書きました。「どういうイジメが悪いか」を論じるより、イジメによる自殺をいかに食い止める措置をすることの方が、重大でなおかつ対応可能なやりかただと思います。


  教育についても、「ゆとりの是非」という大きな問題よりも、「学級崩壊」に取り組むのが先決です。そして、学級崩壊を引き起こした先生を責めるだけでは根本的に解決するはずもなく、その背後にある隠蔽体質すら本質的な問題ではありません。くさいことを言うようですが、現場のチームワークこそが命です。学校でも塾でも、先生同士が中が良く、大きな声で挨拶し合う現場は必ずうまくいきます。塾の場合でいうと、先生同士のチームワークのいい教室では退塾する生徒の割合は極めて低い水準に抑えることができます。こうした環境づくりは上司の力量次第です。現場に指示するだけでなく、みんなで一緒に知恵を絞り、知恵や勇気を共有する環境づくりが大切です。



  さて、今日の受験塾は、自由に質問できる場作り(第三章8)です。



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第三章 手探り状態から脱出する〜「自分からやってみよう(行動変容)」から「やればできる(小さな成功体験)」へ 


8.小さな成功体験を味わせる秘技(5)……自由に質問できる場作り 


  結果だけをもってこようとするこどもたちは、「やる気がない」っていうレッテルを貼られがちです。だから、ついていけなくても、落ちこぼれても、「自分次第」だと責め立てられる。

 しかし、中学受験は、高校受験・大学受験と異なり、学習内容の体系があやふやな面がありますから、親と塾が言っていることが違っていることもある。とりわけ、小学生は批判能力が低く、「相手が間違ってる」とうすうす感じたとしても、それを受け入れてしまうものです。しかも、大人の話の行間を読めないものです。ですから、小学生に対しては「1度言えば分かる」ではなく「1度言っても当然分からない」ものだと考えねばなりません。この意味で、こどもたちはいつも不安を戦っているのです。



  大人だって「この勉強をして本当に力がつくのか」「こんな勉強をしていったい何の意味があるのか」と思ったとしたら、勉強に全力で打ち込むことはできないでしょう。まして、「この人の言うとおりにして大丈夫なんだろうか」なんて頭をよぎったら、話している人の言葉なんて頭に入るはずもない。ジッとその人の顔を見入るだけなんてこともある。

  このような「教わる側」の視点を無視していると、会話が一方的になってしまい、「せっかく教えたのに」と思ってしまう。でも、だれだって意味不明な作業をさせられれば不安に思うだろうし、不安は人のやる気を大きく左右するんです。結果だけを持ってこようとするこどもたちは、初めからやる気がなかったわけではないんです。抵抗勢力ではなく、迷い子にすぎないんです。


 
  そこで、結果だけをもってこようとするこどもたちが、教えた内容をしっかり吸収していくようにするために、「自由に質問できる場作り」をしていただきたいのです。「自由に質問できる場作り」には次に挙げるような役割があります。単に「質問に答える」といっても、質問する側の意図を満足させなければ答えたことにはなりません。「いつだって質問してもいいのよ」っていくら言ってもこどもが質問しようとしない場合、「自由に質問できる場作り」に失敗しています。それは、次に挙げるような「質問の役割」を意識していないからです。



  まず第1に、質問には親(先生)がこどもの理解度を確かめて、次回の勉強を効率的に進めるための「羅針盤」としての役割があります。同じ解説をしても、言葉は本当の言葉を伝えるにはもともと不完全なものですから、こどもによって受け取り方がさまざまです。親子といえども、言いたいことがストレートに伝わることは少ない。

  だから、教えた内容がちゃん伝わったかどうかをチェックするには、質問が不可欠なんです。



  第2の「質問の役割」は、こども自身が自分の思考過程の良し悪しを確かめる「試験薬」としての役割です。

質問は不安の発露です。特に、初めて習う分野については、教わったとおりに解けた、いわれたとおりに解けたとしても、こどもには「不安」が背後霊にようにつきまといます。また、新しいことを教わるときには、「なぜ」とか「前習ったことと違う」というような「気付き」があるものです。このような「不安」や「気付き」を言わずに(言えずに)、「まっ、言われた通りやればいいや」なんて思ってしまうと、成績が伸び悩む。応用問題なんてもうムリ。


 そして、こどもが、いったん「まっ、言われた通りにやればいいや」と思ってしまうと、「自分で考える姿勢」を取り戻すのにとても時間がかかる。なぜか。「親の言ったとおりやってるからいいじゃん」だからです。完全な寄り掛かりです。


  こどものダラダラを見かねて叱ったとき、こどもが「塾やめない」「受験する」って言うときありますよね。これは「反省して心を入れ替えます」じゃなくて、「後で言うことを聞くからそんなに怒らないでよ」なんです。親の言いなりの自分と、親の言いなりになりたくない自分が同居していて、結局は「後で言うことを聞く」ってお茶を濁している。だから「中身がこどものまま」なんです。


大事なのは、「親の言う指示を守ったかどうか」ではなく、「説得力のある整然とした考え方ができるかどうか」です。これは、親だけでなく、こども自身も自覚しなければ意味がありません。親はこどもの話をきちんと聞いているつもりでも、こどもが親がいいたいことを言い当てているだけでは、結局親が答えを誘導しているのと同じことですから、後々誤解を生むことになります。


ですから、こども自身が発する質問を通じて、親がこどもの「思考過程」を確認し、こどもの不安を払拭するとともに、論理的な考え方を教えてあげる必要があるんです。このようにして、自分で考える姿勢を身につけ、自信をつけたこどもが、いったん「やる」と決めれば、ぐんぐん成長していきます。



  第3の「質問の役割」は、「ほら、こんなに頑張ったでしょ」というこどもの自己承認欲求を満たす「栄養剤」としての役割です。

  子育ては、こどもがいろいろ話してくれるうちが花。そしてこどもたちは、いろいろな話をしてくれますが、その意図はさまざま。

  ただ話を聞いてもらいたいだけのときもあるし、相談したいこともあるし、ときには議論したいときもある。こどもが話しをしてくれたときに、トンチンカンな答えをすると、こどもは「話が分からない人だ」ってソッポを向いてしまいます。


  こどもは質問が好きです。「なぜ〜なの?」「どうして〜なの?」ってしつこく聞いてきます。そして、質問の中に、「こんなことまで知っているんだぞ」「こんなに頑張ってんだぞ」という気持ち(自己承認欲求)があることが多い。


  こどもって、栄張ることができるチャンスが少ないから、控えめに主張するんです。こんなとき、「そんなことに気付いたの?すげ〜」なんて褒めてあげれば、こどもの気持ちが弾む。こどもの気持ちは弾むボールと一緒。だから、止まったボールではなく、高く高く弾ませてやりたいです。


  だれでも自己承認欲求がある。だからムシされると傷つく。こどもたちが勉強で傷つくことのないように、こどもが認めて欲しいときに、こどもが認めて欲しいことを、タイミングを逃さず褒めてやりたい。親が褒めたいところだけ褒めるのでは不十分。だから、自由に質問できる環境づくりが重要なんです。

  第4の質問の役割は、「一から自分の頭で物事を組み立てるようになるためのきっかけ」としての役割です。

  疑問を持たずに暗記したことはすぐ忘れますし、暗記したことを試験で吐き出そうとしても見たことにない問題には太刀打ちできません。


  入試では見たことのない問題が出るということを前提に、普段の勉強では「その場で考える」訓練を積んでおく必要があります。そのためには、普段から「疑問を解決する姿勢」を奨励しなくてはなりません。


  しかし、実際には、「疑問を持つよりどんどん分量を与えてしまえ」になりがちです。しかも、塾の先生の中には「質問ばかりするこどもは要領がよくないから受験に向かない」とまで言う人もいます。確かに、できない問題が山のようにたまってからでは、質問も山のように出てくる。こなし切れない。しかしだからといって、詰め込むだけ詰め込んでもどんどん忘れていくだけ時間の無駄です。


  受験で大切なのは「最小限の知識」と「現場思考」です。「現場思考」は必ず「疑問」から出発します。普段から「なぜ」にこだわるこどもだけが現場思考を手に入れることができます。「なぜ」にこだわらず、むしろ「そんなの決まっているじゃん」って安易なこどもは、どの科目も伸び悩む。ミスを連発する。そうならないためにも、できるだけ早くから「自由に質問できる場作り」をしておくことが必要になるのです。


  こどもたちは、授業と復習を機械的に繰り返すだけで成績な伸びるわけではない、というのは常識です。1を聞いて10が分かるこどもなんて極め少数だからです。教える側も教わる側も「質問なんて、まっいいか」となったときは手遅れです。自由な質問ができる場作りを通じて、疑問から考える姿勢を身につけさせてください。



  第5の質問の役割は、「塾で失敗させない」という役割です。

受験は自分のペースを見つけるまでが苦難の連続です。「やるべきこと」が分からないから苦労する。だから塾に行く。みんなが通っているから塾へ行く。

  しかし、大多数のこどもにとって、やるべきことが次から次にやってきてうまくいかなくなる。安心感を買っているつもりが、逆に不安感を買っている気持ちになってしまう。


  なぜうまくいかなくなったかには理由があります。それは、「予習は不要」「復習だけしっかりやればいい」です。多くの塾が、こどもの負担を軽くしようと考えて「予習は不要」といっている。「やるべきことは全部そろっているから、とりあえずいらっしゃい」です。


  ところが、未習分野や苦手分野について、塾は詳しい解説を原理原則に遡って繰り返しやることはありません。季節ごとの講習などで繰り返し同じ分野を扱うにしても、基本原理から遡って解説することはないのです。むしろ、それをやっているとカリキュラムが消化しきれません。だから、以前に習った分野、以前習うはずであった分野については自分で対策をしなければならない。これは既に習ったところであっても、実質的にみれば「予習」そのものです。多くのこどもたちは、塾の進度についていくためには弱点を補強するための「予習」が欠かせないんです。


  繰り返しになりますが、塾が言っている「予習は不要」「復習だけやっていれば大丈夫」を信じるな、です。成績が伸び悩んでいるこどもに対しては、塾は学習のやり直しを指示するのが一般です。ですが、やり直すべき分野の理解が不十分であれば、形式的には「復習」であっても、実質的な労力は「予習」そのものです。だから、こどもの立場に立って考えれば、安易に「復習すれば大丈夫」なんて付け焼刃的なことは言えないはずなんです。


  このように、塾で失敗する実質的な理由は「予習が必要」ということにあります。こうした負担を強いる前に、まずは自由に質問できる場作りがどうしても必要なのです。




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