こんにちは。先日テレビで、尼崎の脱線事故に遭われた方の様子が放映されていました。脳に重大な受傷を受けましたが、母による2年間のリハビリを経て、被害者本人が歩行訓練に挑むようになった、というものです。


  それを友人に話したら、「親にできないことが子どもにはできるのよ」って一言。言われてみればそうですね。今は公然と反抗する子どもが多いですが、昔は親に言いたいことがあっても言わずに心に秘めておくか、爆発的反抗をして家を飛び出すかしかありませんでしたから。それに、自分の子どもは自分が愛さないといけないという義務感もあります。


  でも、先ほどの番組でよかったのは、患者が満足すると共に、患者を辛抱強く看護したお母さんも満足げだったことです。人の役に立つとともに自分も幸せになる、というのがとても清清しいです。



  さて、今日の受験塾は、家庭学習の計画(Do)(第四章5)です。



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第四章 葛藤を克服する〜「やればできる(小さな成功体験)」から「もう大丈夫(自信)」へ


5.物事を一から自分で組み立てさせる秘技(3)……家庭学習の実行(Do) 



【家庭学習の実行(Do)】
  「やっと勉強のペースがつかめてきた」とか「やっと自分から勉強するようになった」と思ったら、学芸会や運動会やらでペースが乱れるときがあります。でも、塾のテストは容赦なくやってくる。そんなとき、こどもが疲れているのを知りつつ、以前のペースを取り戻して欲しくて、ついイライラしてこどもに辛くあたってしまったりします。だれだってそうです。

  ただ、「家庭学習の分量」と「家庭学習の指示のしかた」にはルールがあります。



  まず、「家庭学習の分量」は一定量を決めて出すのが原則です。「今日は5ページだけど、明日は20ページ」なんて気まぐれな課題の出し方は良くありません。なぜなら、目標が人に左右されると、モチベーションが下がるからです。課題が他人に左右され、目標達成が他人次第になると、自分のペースがつかめない、不安定になる、失敗すると自己嫌悪になります。だから、課題の分量は一定量に決めておくのが原則です。


  生徒は自分の勉強のペースがつかめれば、テストも喜んで受けてくれる。自分の成果を試したくなるものです。本当はこれが勉強の本来のあり方です。「自分にムチ打って」「他人に絶対に負けないように」試験勉強するというよりは、「自分の努力の成果をみるために」「自分の能力を確かめるために」試験勉強する、という方が前向きですよね。



  次に、「家庭学習の指示のしかた」は、「分量」ではなく「課題」で指示を出す、です。例えば、車を運転していて、急にオシッコしたくなった。それまで、なんとなく運転していたのに、急に意識が「トイレ」に向かう。そうすると、公衆トイレ、コンビニ、ファミレスなどが次々を目に飛び込んでくる。乗り越えようとする課題を意識すると、人は実力以上の力を発揮できる。「ウチの子は、分からない問題があると、すぐにやる気を無くしてしまうのよ」というこどもが多いのですが、実は漠然と「難しい」と思っているだけで、よくみると「乗り越えるべき課題」が分かっていないだけのときが多いんです。


  また、「分量をこなせばなんとかなる」と思い込んでいるご家庭では、「勉強したの?」「やった」「本当なの?」という無意味な論争が絶えません。「ちゃんとやっているなら、成績は上がるはずなのに」とモヤモヤする。「やったなんてウソじゃないの?」と思ってしまう。


  しかし、こどもはウソをついていません。人は都合が悪いことは省略して話すものなのです。例えば浮気を追及されたときに、「浮気した」とは言わずに、「残業だった」という。「浮気した」ということを省略しただけなので、結局は本当のことを言っているのです。こどもだって、都合の悪いことは省略して話すだけで、ウソをつくことはほとんどありません。「宿題やったの」と聞かれて「やった」と答えた場合、「やった」のは本当のことです。なぐり書きしようが、解答を写そうが、言われたとおりやっている。


  ただ、「ちゃんとやった」とは言っていない。だから「やった」のは本当のこと。都合が悪いことを省略して話すことは人として自然なことですから、すぐ叱る前に、こどもが省略して話したことを見逃さないだけの余裕をもつことが大切です。こどもも「都合が悪い」ことを自覚しているわけですから、叱られると「分かってるよ!」と反抗的な態度になる。ウソと決め付けると話しがこじれるだけです。


  だからといってこどもの話を鵜呑みにするわけにはいきません。ちゃんとやってもらわないとあっと言う間に受験がきてしまうからです。そうすると、いろいろなメニューを親が用意してキチンと管理しなければならないという思いに駆られる。「これは終わったの?」「あれはいつやるの?」ってカミガミ言うようになる。まるで取調官さながらの追求が始まる。こうなっては家庭内が殺伐となってしまう。



  「じゃあ、ガミガミ言うなってこと?」ですよね。いえ、違います。人は易きに流れるものですし、ましてや相手は気持ちのうつろいやすいこどもですから、ガミガミ言うことも必要です。問題は「ガミガミ」にあるのではなく、「家庭学習の指示の出し方」にあります。


  親が勉強を管理するようになると、勢い「分量」に目がいきがちになります。「10ページから20ページをやりなさい」です。食事をさせていて、「美味しかった?」ではなく、「全部食べた?」のほうに気が向いてしまうようなものです。こどもに分量を強制することは一昔前の歯医者さんのように「痛くないよ」「大丈夫」などとだましだまし治療をするようなものなので、生徒にとっては何がなんだか分からないうちにカリキュラムが進んでしまいストレスを与える。親は、分量をこなしているのに成績が上がらないという無意味なあせりに苛まれる。




  家庭学習の指示の出し方は、「分量ではなく課題で指示を出す」です。例えば、同じ計算問題の指示でも、「10ページから20ページをやりなさい」ではなく、「10ページから20ページの中の問題を使って分数の割り算をできるようにしなさい」です。そうすれば、「やったの」「やった」という神学論争、議論のための議論は起こらない。「分数の割り算はできるようになった」と聞けば、イエスかノーしかないからです。


  もちろん、子どもが小さいときには、こんなことだれだってやってたはずです。しかし、受験生時代が長くなるにつれて分量に圧倒され、「弱点を克服すること」が二の次になっちゃうんです。もう、こなすだけで精一杯。分量に目を奪われたとたんに、「穴の掘り方は正しいが、掘っている場所が違う」、つまり「分量はこなしているが目標をクリアしていない」に陥って、成績が伸びなくなるのです。



  だから、常に「家庭学習は分量ではなく課題で指示する」です。どの学習項目にも、まず「理解」があって、その次に「練習」がある。練習は理解を助けるものです。それと同じように、「課題(理解)」を補うものとして「分量(練習)」がある。そこをこどもに分からせないと、こどもは一から物事を組み立てられるようにはなりません。




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