中学受験が一段落して、今度は高校受験が始まっています。昨日は雪が降り、私の高校受験のことが思い出されました。 


 合格発表を親子で手分けをして確認しに行き、自分が見に行った高校は不合格。先に帰宅して母の帰宅を待つ。足音が聞こえてきたような感じに駆られて玄関先にでてみると、遠くからとぼとぼと歩いてくる母の姿が目に入る。「あっ、落ちたんだな」って思いました。



 私はその時、自分の至らなさを隠すことに必死で、不合格なんてことはなかったかのように、場をつくろっていたと思います。これがホントに切ない。 


 しかし、これは実は大学受験が終わるまでの序章に過ぎなかったんですね。中学受験のときもそうだったですから。 



 さて、今回は国語の指導法についてのお話です。 



 私が国語科の教務指導にあたるとき、まず教えるのは問題の作り方です。国語の問題の作り方は、大要次の通りです。 



 〔笋Δ戮テーマについて、まず雛形を作成します。例えば「太郎がお父さんに叱られてむくれたのは反発心を抱いたから」というようなものです。 



 ⊆,法∩択肢問題を作成します。「むくれた」という理由が文脈上正解だとすると、それとは別に「鼓膜が破れた」とか「恥ずかしかったから」などの選択肢を作成する。 



 ここでポイントになるのが、本解のほかに、あり得ない選択肢と、そうとは言い切れない選択肢を考えることです。 



 こうして選択肢の問題が仕上がります。 



 最後に、以上の選択肢を使い切るような記述問題を作る。 



 このようにして、国語の問題が仕上がっていきます。そうすると、問題を解く視点が定まり、力強い授業をすることができるのです。 



 しかし、です。中学受験ではこのようなテクニック的なこと、それ以前に注意が必要なことがあります。 



 例えば「切ない」という語句。問題文を読んで、これを実感で感じることができる生徒はそんなに多くはありません。 



 中学受験でヤマ場となるのは心情把握の問題ですが、そこでの決定打はテクニックではありません。「切ない」「悶々とする」など、心の躍動感を示す語句を感じ取ることができるようにすることが大前提になるのです。 



 主人公が飼い犬を見失い、取り戻すことができそうにないとき、これは誰だって「切ない」です。しかし、小学生には「切ない」とは思わないこどももいるのです。 



 こんなとき、こどもにも「切ない」というときがあったことを思い出させる必要があるのです。どんなときかといえば、小さいときに親とはぐれたとき、愛着のある私物を見失ったとき、などです。 



あるいは、仲良しの友人が転校していなくなってしまう。こんなときも切ない思いをすることでしょう。



 さらに友だちが「切ない」と感じた事例をいろいろ聞けば、「なるほど」と思うこともあると思います。 


 こどもたちの愛着は、親しみのある大人(親や先生)から、モノや動物、友人、恋人、伴侶と変化していきます。その一つ一つの歩みに「切なさ」が付きまとうのです。 



 人が生きていくには、日々嫌なことはつき物なんですね。 



 国語の問題の解き方を教えるとき、けっこう安易に「消去法」が用いられます。消去法というのは、例えば「切ない」という気持ちが分かることが暗黙の前提となっています。



 しかし実際には、一つ一つの言葉を身近なものとして人に説明するできるこどもはそう多くはないのです。



 その意味で、国語の成績を上げる基礎となるものは、テクニック以前に、生活を言葉で振り返ることなんだと思います。 



  
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