みなさんお疲れ様です。 


 この頃の受験は小学生や中学生、そして高校生だけではありません。大学生もまた重要な就職試験の最中です。


 
 今日、私が日頃から信頼する講師が、就職試験の後に研修に来ました。開口一番、「やっべぇ」「結果が心配でならねぇ」でした。



 でも、私は「全然心配ないよ」「君を採用しなかった会社は損したよね」って伝えました。その講師は、仮に失敗しても自分を奮い立たせる術を持っていましたから、さっさと今の熱病を冷ませば済むと思いました。



 受験と一緒で、その場その場でうまく立ち回っていても、その先の自分を保証してくれるのは自分の努力次第ですから。



 先日読んだ本(「安岡正篤一日一言」致知出版社)に次のような一文がありました。



 いままで学校教育こそが教育だと思っておったが、しかしこのごろはヨーロッパでもアメリカでも、教育は学校がやると思っているのはよほど後れた(おくれた)人間でありまして、あらゆる教育家・教育学者は、「教育はやっぱり家庭教育である。学校教育は家庭教育でできたものを受け取って、これを手入れするところだ」と考えている。日本のように、教育と言えば、子供をどんな手段を使っても学校へ入れるんだと考えているのは、文明国ではよほど後れておる。



 この言葉を遺してくれた方は、明治31年の生まれです。



 この「家庭教育」とは何か、とても難しい問題です。



 先に挙げた大学生と接していて、私が思った「家庭教育」は、親の言葉でどれだけこどもを勇気付けられるか、こども自身からみてどれだけ、現実に、心底、勇気付けられたか、です。



 激動の明治時代であれば、みんなが苦しい。だから何気ない会話でも親子でいたわり合うことができる。親以外の人であってもその人の協力を得ないと何事も進展しないということばかり。



 それに対して、現代ではそうでもない場合もあります。



 しかし先にご紹介した学生は、私の推測の域を出ませんが、親から「勇気の出し方」という大切なものをもらってきたんだと思いました。



 こどもは「親の財布を見る子」と「親の生き様を見る子」とがいます。家庭教育という問題は難しいことだと思いますが、それは親から何を受け継いだか、ということなのかも知れません。



 最後にO君、引き合いに出してごめんね。でも、私も失敗ばかりしてきまましたがこうして頑張っています。自分でも信じられないくらいたくさん不本意なことがありました。



 でも、いつか人の役に立ちたい、この一念を持ち続けることが大事なんです。




 「大切なことに気付く24の物語」(フォレスト出版)にこんな話がありました。




 明治時代に公務を終えたトルコの船エルトゥール号が座礁したときに、貧しい漁村の人たちが非常食までも分け与えて支援し、しかも明治政府が母国への帰還を支援した。



 これに対してイラン・イラク戦争のとき、日本人が自力でイラクを脱出し損ねたことを知ったトルコの民間機が、危険を冒して日本人を救出した。
 日本の外務省がトルコ政府に問い合わせると、トルコ政府は「私達はエルトゥール号のことは忘れていない。だから、日本人が困っているのを知って助けにきた」と応えたそうです。




 今を、人のために一生懸命頑張る、この一念が大切なんです。



 
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