みなさん、お疲れさまです。私は昨年から、マラソンのロードレースへの参加を始めました。



 なぜ?っていわれると……、もちろんダイエットのためです。これまで、富士五湖や春日部などの20キロに参加したのですが、15キロを過ぎるころにはもう足が前にでません。みじめなヒヨコ歩きでやっとこさゴールです。



 そんな状態なのに、今度は11月に行われる湘南国際マラソンに申し込みました。距離はフル(42.125キロ)です。年はもう40を数えるのに、頭が狂ったとしかいえない行動です。



 しかし、私のマラソン仲間には72歳の女性もいて、その方は20キロを走破するツワモノです。私も負けてはいられない!、という気持ちです。皇居の周りが約5キロなので、徐々に距離を伸ばすにはいい練習になります。少しずつ頑張ろうと思っています。



 さて、先日朝日新聞で「中学受験は親にとって投資案件なのか」という記事がありました。



 まさに首都圏では「中学受験は投資案件」です。実際、大学生を持つ首都圏の家庭では月次の家計から貯蓄に回すことのできる金額は5%を切ると言われています。



 そこまでして子どもに投資する理由についてこの記事では、「大卒者と高卒者との賃金拡大」「親世代の所得格差」に求めています。



 この点については、「PRESIDENT (プレジデント) 日本人の給料」が詳細に分析を加えています。



 この「賃金拡大」「所得格差」がこれからの子どもたちにどうやって現れてくるのでしょうか。「仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在」が次のように指摘しています。



 まず、親が40歳時点で専門職・管理職についているかどうか、親が情報社会に乗っているかどうか、という知識エリートの世代間再生産メカニズムがあることが一つ。



 そしてまた、好況期に就職した人と不況期に就職した人ではその後の賃金や就職機会に大きな差がつくという労働市場の世代効果がもう一つ。つまり、不況期に就職せざるを得なかった人は長く不況のあおりを受け続けるということです。



 さらには「七五三現象」といって、中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割が転職をするといいます。大卒の3割というのは、別の資料によれば国家一種をくぐり抜けた超エリートでも同じだそうです。



 また最近では高卒者においても、就職受け入れ先の倒産・海外移転が増えて会社と高校の継続的な交流が途絶え、生徒の適性にマッチした就業指導や推薦が難しくなってきており(就業のミスマッチ)、これがフリーターや離職者を増やす原因にもなっています。



 同書によれば、仕事を通じて能力や所得を向上させることができる仕事につける人はごくわずかで、多くの人は仕事自体からは能力向上や働く意味を見出せない仕事につくことになる、実はこれが「賃金格差」の正体である「仕事格差」である、とも指摘しています。



 なるほど、官公庁に就職した超エリートでも転職するし、医者や弁護士でもうつ病にかかるのはこのような理由だったのですね。



 こうしてみると、「いい学校、いい会社、いい就職先につければ一件落着!」という消化試合のような人生観では、やがて行き詰るのでしょう。



 ただ、目前の受験では志望校選択はやはり重要です。この点、「首都圏私立・国立中学偏差値の推移(さらに詳しくはコチラ)」は入りやすいかどうかについてだけは参考になります。



 しかし親としては受験を通じて、こどもにさらに飛躍してもらいたいものです。



 社会に出れば「伸びしろ」を厳しく吟味されます。特に次の3点は重要です。

 ゞ肪爾僕残未きかない

 ⊃佑猟鶲討魑饑笋垢

 B梢佑寮格や意見を悪意をもって受け止める



 こどもたちにはこれらの態度は謹んでもらいたいものです。あまりに個人主義的な考えだとストレスがたまり、互いに不幸になるからです。



 さらにいうと、社会にでて職にありつけたとしても、 銑のようなタイプの人はどんなに優秀でも多くの関係者に背を向けられることになります。



 それは 銑にあてはまる人は、マネジメント重視であり、縄張り意識が強く、地位にしがみつく傾向が強いからだ、と言われています。



 マネジメント重視とは、自分は動かずして指示ばかり与えたがり、自分は結果に責任を持たずに、他人を非難ばかりする人です。特に小規模な会社・部署で社長以外にこのような人がいると、全体のモチベーションを下げます。ましてや部下より出社時間が遅い上司、遅刻をする上司がいる部署は衰退する、これは常識です。



 また、縄張り意識が強く、周囲と情報を共有しようとしない時代遅れの人も困ったものです。情報が溢れている時代ですから、だれもが知ろうと思えば何でも情報は手に入る。それなのに、自分の重要感にしがみついて裸の王様に納まっている人は哀れというほかありません。



 さらに地位を振り回したがる人、これは最悪です。嫌な仕事を人に押し付けておきながら、自分は上司の言葉を下に伝達するだけ(ひどいときは、自分の都合や思惑で脚色した情報を流す人もいます)。さらには、計画性も指導性もなく部下をいじめて辞めさせようとしつつ、人手が足りないと嘆き自分のわがままを聞く人を欲しがる。自分が得た地位が周囲の尊敬と信頼に支えられたものであるかには関心がなく、周囲が無条件で従ってくれる「地位」という「交通誘導員の制服」を欲しがるのです。



 結局は幼稚で怠惰でわがままでひねくれているわけですが、それが自分では気付かない。みんなは見抜いているのに、です。それでも受験は合格できる。社会は直接あるいは間接に集団プレーですが、受験は個人プレーの側面が強いからです。



 私の知人が話をしていたのを聞いていてゾッゾッゾッとしたことがあります。その友人は東大、早慶出身を多数含むエリート数十名を取りまとめる有名生保の営業所長です。



 いわく「気に食わない東大出身の部下を降格させたよ。もちろん営業成績も悪かったけど、やっぱり気に食わないだよね。それで給料はヒラ同然。ヤツは家も買ったし、両親も養っている。きっと困っていることだろうよ。」



 これがすべての人に当てはまるとは思いませんが、人は感情の動物ですからありうる話です。もし本当であれば、東大にまでやって有名企業にも就職したのに、人の好き嫌いで人生を振り回されたことになる。それまで費やしてきた教育費は回収できるのか……。



 自分の子どもにはこうした思いはさせたくありませんが(上司としても部下としても)、ないとも言えません。仮に遭遇し、遭遇しそうなときでもめげて欲しくはありません。



 ラビ・ハロルド・クシュナーによれば、「我々の心は名声・安楽・財産・権力を激しく求める。こうした恩恵は確かに問題を解決するが、それに負けぬほど多くの問題を生み出しもする。」



 続けて、「我々のこころは人生に意味や意義を求める。人はだれしも、自分の生涯に意味があった、人生を通じて世界をいささかなりとも変えられたと思えるような生き方を求めているのだ」、と。



 じゃあ、受験を乗り越えたこどもたちは一体何をよりどころにすればいいのか?
 
 これに対してはスティーブ・ジョブスの有名な演説があります。



 「君たちの時間は限られている。その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。ドグマにもとらわれてはいけない。それでは他人の志向の結果とともに生きることになる。



 他人意見の雑音で、自分の内なる声をかき消してはいけない。もっとも重要なことは、君達の心や直感に従う勇気を持つことだ。



 心や直感は、君たちが本当になりたものが何かを、もう、とうの昔に知っているのだ。だからそれ以外のことはすべて二の次でいい。



 偉大な仕事をする唯一の方法は、あなたがすることを愛することだ。落ち着いちゃいけない。探し続けろ。」



 表現は激しいものですが、青少年を奮い立たせるには十分な迫力でしょう。要するに「もう人のフンドシで相撲をとる時代ではない」、ということでしょうか。



 そのためには、こどもが中学受験や高校受験で格闘している間にこそ、こどもが小さいときに抱いた夢・希望・あこがれを、こどもが忘れかけていく夢・希望・あこがれを、もっとも身近な存在である親があたため続けてあげたい。



 もちろん、多くの親はこどもの将来が心配です。しかし、心配するのと信頼しないのとは全く別物です。



 受験の成功不成功だけで、親に信頼されないことほどこどもにとって辛いことはなく、従ってまた、親に信頼してもらえないこどもが社会にでてうまくいくはずもありません。



 激しく反抗する、ひどく悲観的になるなど、こどもが潰れかかったとき、「頑張れば何とかなる」って追い込んでいませんか。



 もし更なる苦しみに追い込んでしまっていたら、こどもは不完全さの中で育ち、偏った育ち方をしてしまいます。苦しみからは豊かさも成功も生まれません。勉強をするしないは選べませんが、取り組み方は選べるようにしたほうがいいと思います。



 もしこどもが潰れかかったとき、「あんたは今は勉強向きじゃないかもしれないけど、将来きっとすごいと思うよ」っていえば、こどもは発想を転換してくれます。



 もしこの一言で、一時的にせよ受験に対する熱意が冷めたとしても、曖昧なままの状態を解消してくれればスッキリするはずです。



 「賃金格差」「所得格差」という曖昧な不安だけでも、受験を乗り切ることはできるでしょう。受験に費やした努力や忍耐力は必ずこどもの糧になるはずです。



 ただ、受験を乗り切った、あるいは受験を乗り越えられなかったということが、「自分の能力のすべてである」などという錯覚を持たせないことのほうがはるかに重要です。



 つまり、受験を乗り越えた、あるいは受験を乗り越えられなかった、というのはその人ごとの限界を示すものです。自分が最大限努力してもそこまでしかできなかったのです。上には上がいるんです。



 しかしそこで諦めないで、その限界をカバーしながら自分の夢を追い続けるために、多くの人の声に謙虚に耳を傾け、多くの人の力を借りることによって、自分らしさを実現していけばいい。



 自分1人では何ともできないとき、もうできないといって諦めるか、それとも人の力を借りてでも実現しようとするかは、雲泥の差があるわけです。それはまた、自分を信じ、他人の幸せをも真剣に願う信念の裏返しでもあります。



 松下幸之助以来、松下政経塾での面接で最終的に重要視されるのは、「愛嬌があること」と「運が強そうなこと」だそうです。



 つまり、どうやるかで悩んでいたのではダメ、やりたいことを心の底から実現しようと思っているかどうかが重要、ということです。



 もっとも「やりたいことはすべて叶う」というわけでもありません。ここが大きな落とし穴です。



 現実の社会では、いくらいい学校をでて、いい会社に入っても、いい職業についても、実際には次のような人が多いものです(自分の子どもが将来こうなったら心配でたまりません)。

 *したいけどやらせてもらえない

 *したいことができない

 *自分は決められた環境で与えられた仕事をするだけで、選択の余地がない



 そうすると、次のようになるわけです。

 *自分が一体何のために働いているか分からない

 *このまま仕事を続けていると自分の性格が悪くなるようでたまらない



 こうしたときにこそ受験時以上に、社会経験があり、身近な存在である親のアドバイスが効いてくるんです。



 この点、自分らしい仕事をしようとすれば、「人がやらないことをする」「自分に希少価値をもたせる」という点に着目して努力を積み重ねるのがいいようです。



 「未来を予測する最良の方法は、未来を自分で作り出すことだ」「死は生きることをやめる多くの方法の一つにすぎない(アルバー・サイモン)」、と言われます。



 多額の教育費がかかったのですから、こどもたちが自分の未来に向けて意味ある努力ができるようにサポートしてあげたい。親であればみんな同じ気持ちだと思います。



 「人は素直になれないとき、自分の優しさは理解して欲しいけれど、人の優しさは曲げて理解しようとする」ものですから、まずは本音を語り合えるような関係作りから始めてみてはいかがでしょうか。



 いつもありがとうございます!ご質問があればお気軽にお寄せください。



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 お子さんの学習法に関わっておられる方は、宮本哲也先生の「強育論-The art of teaching without teaching-」「超強育論」を是非読んでみてください。拙著より過激ですが、「こどもを鍛える」という考え方が共通しています。英語教師の竹岡広信先生のファンの方にもなじみがあると思います。自分で何とかしようとするこどもが成功する、ということが痛いほど分かります。



強育論読者プレビューより>

 娘二人の頼りない父です。わがままな二人に振り回されっぱなしの日々。これからどうなることやらの矢先に出会ったこの本。確かに教育の仕方に多大なる変化をもたらすほど衝撃があります。そればかりでなく、人生論にもなってます。難しい文章ではないので、一気に読めます。この本、売れて欲しいな。全ての日本人に読んで欲しい。十年後に何かが変わるかも。



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