みなさん、お疲れ様です。この記事の書籍化したものが8月3日にエール出版より発売になるのですが、それに「四谷大塚・サピックス進度比較表」を付属しました。入塾や転塾の参考になると思います。



 それに関して「日能研のはないの?」とお問い合わせがありましたが、残念ながら資料不足でまだ作成しておりません。出来上がったらこのブログでお知らせしますね。

 さて今回は、「勉強しない子どもにはペナルティが当然だ、では失敗する―あるお母さんの気づき」です。



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■優秀な子どもが中学入試で失敗する9の理由 その6<挫折しやすい>



「勉強しない子どもにはペナルティが当然だ」では失敗する―あるお母さんの気づき(中学受験・中学入試)



 かつて教え子のご父母から、「知人の方は、勉強が終わるまで夕食を与えない方針で、実際に夕食を与えないときもあるそうですよ」というお話を伺ったことがあります。



 かたや、「子どもに対してあり得ないような言葉を吐いてしまう」というご相談もあります。ふと我に返ると、「もしかしてこれはプチ虐待なのではないか」と頭をよぎります。



 親だけではありません。私の知人の先生の中には、「子どもは恐怖心を持つから勉強するんだ」が持論の人もいます。



 これらのような子どもに対する物理的、あるいは精神的なペナルティは、それなりの理屈があってなされることです。



 つまり、次のような理屈です。



 『受験したい、勉強したいと言ったのは自分のはずだ。ならば、親に言われなくても自分で勉強しろ。もし自ら行動を起こさないのであれば、子どもの言うことは信頼できない。だから、勉強ぶりを監視するほかないのだ。しかも、矛盾したことを言う子どもにはペナルティを科すべきで、子どもの方もそれを甘受しなければならない。』

 もちろん現実問題としては、子どもが恐怖を感じている、あるいは、過度に敏感になっている、という場合は少ないでしょう。学校や塾では元気いっぱいのはずですから(笑)。



 しかしもし、子どもが自分で何も意思決定できないとか、親の目を盗んでは遊ぶ、などという場合には、多少なりともペナルティを意識していると考えてよいでしょう。



 そのような場合の問題は、子どもの学習を推進する効果が上がっているかどうか、です。



 残念ながら、子どもがペナルティを意識している場合―つまり、子どもが自分で何も意思決定できないとか、親の目を盗んでは遊ぶ、などという場合には、親が期待するほどの効果は上がっていることはほとんどありません。その場を取り繕っているだけで、進歩がないからです。



 ペナルティは、本来、監督者がいる場合に、その影響の下で被監督者の行動を規律するために用いられる補助的な手段です。



 つまり、監督者の影響力が及ばなければ、ペナルティは全く威力を発揮しません。だから、子どもは家の外では元気いっぱいなんです。



 反対に、家に帰れば、ペナルティを受けないように、無意識のうちにその場その場を取り繕う。何をやりたくて何をやりたくないかについて自分の意思を表明することを控える。やっかいなことは隠しだてして、極力波風をたてないようにする。



 このように、ペナルティを意識する子どもは、「いいつけに違反したらどうなるか」を敏感に感じ取るだけで、かんじんの勉強の中身とか先に待ち構えている試験の対策とかには意識を集中できません。



 つまり、ご褒美で子どもの気を引く場合の効果と同じく(既述)、脅迫で追い込むと本業がおろそかになるわけです。



 これは監督者が親であっても先生であっても同じことです。



 もし家でも塾でもペナルティが待ち構えているような場合には、子どもには知的な作業を行う場がなくなり、子どもはもはやロボット状態と化してしまう。



 このようなことにしないためには、どうすればよいのか。次のようなあるお母さんの話があります。



 『自分の子どもが将来社会に出ても困らないように、「時間を守れる子」に育てたい。しかし、学校の登校でさえ、自分がいなければ毎日が遅刻という状態。



 自分自身が几帳面なお母さんだからこそ、のろまに見える自分の子どもが許せず、ついイライラして「何回言ったらわかるの?」「早く朝ごはん食べなさい!」と言ってしまう。



 ところがいくら叱っても治らず、不安が募っていく。



 もしかして、自分の育て方が甘いのかも知れないと思い、叱責が感情的になることが増えてゆく。しかし効果はみられず、かえって子どもの言葉数はめっきり減ってしまった。そんな子どもの姿を見て、自分を責めるばかりの日が続く。



 割れた茶碗のかけらをいつまでたっても眺めているような気持ちが続く。



 そんな折、人からのアドバイスがお母さんの胸を刺しました。「親の偏った価値観で子どもを縛ってはいないか」と。



 つまり、自分の子どもには他人からみればとても素晴らしいところがあるのに、人から褒め言葉をもらっても、心の中では「そんなことはない」「本当はルーズな子どもなんだ」と子どもの良い部分を否定したり、子どもの良い部分から目をそらしたりしてしまう。親にはない子どもの個性や能力を発見したり、評価することができない。



 偏見とは根拠のない非好意的な先入観をいうが、子どもの長所を短所で覆い隠して人格攻撃をするのは、まさしく偏見そのものじゃないのか。



 その偏見のために子どもの主体性を奪い、みじめなくらいに親に甘える子どもに仕立てていないか。



 小さなことにこだわって、子どもの大きな芽を摘みそうになっていないか。



 ハッとした。



 それ以来、子どもを見てイラっときたときは、子どもの長所に目を向けることで心を落ち着かせるように努力した。その努力を続けているうちに、子どもの長所を実感できるようになった。



 そうすると、時間のルーズさも「この年齢ならしかたない」「少しずつできるようになればよい」と考えることができるようになってきて、叱る回数が減り、子どももよくしゃべるようになってきた。



 さらに、少し子どもと距離を置くためにパートに出でてみると、親が帰宅するまでに学校の宿題を終わらせるなど、子どもは驚くほど自主的に行動するようになった。』



 話の内容は以上のようなものです。



 大きなポイントとなるのは、いくら子どもの将来が心配であっても、大人は何らかの方法によって感情的になりそうな自分を抑え、できるだけ冷静で寛容でいなければならない、ということです。子どもは感情的に叱る大人が大、大、大キライなんですね。



 先ほどの話では、子どものよいところを再評価することによって、あるいは子どもと少し距離を置くことによって、子どもを全体的で長期的に捉えることができるようになった。



 問題は「その人」にあるのではなく、「人と人の間」にあったわけです。



 確かに、時間に追われれば追われるほど、「やらなかったらどうなるか」とか「失敗したらどうなるか」で子どもを脅迫してしまいがちです。



 しかしこれでは、本来優秀な子どもであっても、意思決定が抑圧されて本領は発揮できません。だからまず、子どもが安心して自由に発想できるような土台作りをする。



 その後はその上に、「勉強計画とその実行」が乗っかってゆくことになるわけですが(後述)、土台を覆すような事態は再び招いてはならない、と肝に銘じておきましょう。



 この点、 「罰やペナルティがあるからこそ今、子どもはまともにやっている」と言う人がいますが、それは本末転倒です。罰を恐れた子どもは自分で意思を決定しませんから、まとも以前がまともじゃない、本領が発揮されていないんです。



 これに対して、自分で意思決定ができる子どもであれば、ペナルティがなくても、失敗すれば自分で修正するものなのです。



 大人は子どもに対して、「やらなかったらどうなるか」ではなく、「子どもの自主的な判断をどこまで許すか」という態度で接するべきです。子どもが親や先生にいちいちうかがいを立てずに勉強を進めることができるようになるかどうかは、この点にかかっています。



 つまり、できるだけ計画も行動も子どもの決定を尊重しましょう。人は任せられるとそれだけで、有能感を得て、頑張ろうとするからです。



 具体的には、「やらなければならないこと」よりも、「やってはいけないこと」を強調することです。やらなければならないことは分かっている人に、重ねて「やりなさい」と言うのは生産的ではありません。



 そうではなくてむしろ、やってはならないことをはっきり伝え、あとは自分次第だ、とするのです。例えば、睡眠時間のことを考え、「今日は2時間しか勉強してはならない、後は任せる」です。すると、子どもはその範囲で何とか課題を仕上げようとする。



 同じく校庭を10周走るのでも、命令されて走るのと、自分の意思で走るのとでは、要領も効果も全く違うものになるのです。



 もちろん、その後の子どもの判断や行動が常に正しいとは限りません。そのときこそ、大人の助言が必要なのです。子どもが手を伸ばせば届く範囲の助言、子どもの心に届く助言、です。



 ここで子どものやり方を全否定しないことが大切です。あくまで子どもの考え方を発展させるように、大人のアイデアを子どものアイデアに付け足すことです。



 子どもと接していると、ついイライラして「あなたはどう思っているの?」「本当はどうしたいの?」と言ってしまいがちです。しかし、子どもの返事ははっきりせず、要領を得ないことがほとんどですよね(笑)。



 そうであっても、少しずつでも言えるようにしてあげればよいのです。だって、子どもの意思決定とはむりやり引き出すものではなく、それができるようになるのを見守るものだからです。




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